2018年7月30日月曜日

投資家の独り立ちは「正解は無い」を腹に落とすところから

投資を始めて6年目になりますが、最近ようやく投資に正解が無いということが腹に落ちてきました。
(言葉としては見聞きしていても自分の中で消化しないと無意味なことって多いですよね)

ゲーム性を考えれば当然ですが、「いつでも同じことをする主体」「一定の条件時に同じことをする主体」はルール上非常に不利です。
思考停止は鴨と読み替えてもいいでしょう。
かと言って動き回れば(売買を頻繁にすれば)良いというものでもありません。
一般に知られる通り、感情に沿ってトレードをすることは効率的な資産の減らし方です。

じゃあどうするんだ?となって初めて「自分で考える」という結論が出るわけです。

個別株投資でいえば無数にある企業の中からいずれかを選択するわけですが、当然ながら企業の先行きは保証されていません(ここ大事!)。
運否天賦では大切な資金をbetすることはできないので、保証されていない=「分からない」を完全ではないまでも「分かる」に近づける努力が必要になります。

そして自分の中で可能な限りの努力をした上で無常な結果を受け入れる場面が多々来るわけです。
betした企業の業績が悪い場合などはまだ因果関係が理解しやすいですが、企業-投資家ラインの外の事象が株価を下げることなんかも日常茶飯事です。
(自然現象、ライバルの悪決算、大統領のtwitter etcetc...)

不条理な事象が起こる、しかもそのせいで自分が損をする。
多くの人はそれが許容できずに投資をやめていくのでしょう。

そういった経験を飽きずに何度か繰り返して、正解ってないんだなぁという一種の諦め?達観?が身について来たというわけです。

6年もかけてようやくという感想ですが、ようやくスタート地点に立った感覚です。
引き続きよくわからない靄の中を進んでいこうと思います。

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